記事一覧

山があっても登らない。

その分、山がなくても登った気になれるタイプです。

苦労というのは、体験することよりも
想定できることが重要なのだから。

だって、そうじゃないとさ、
放射能で被爆された方々の苦労を
自分もしなきゃわからないだろう?
ってことになってさ、だからと言って
みんな被爆者になっちゃったら
それはそれで困るわけでしょ?

実践しなくても良い苦労があるのなら
それは苦労と感じる全てに適応するはず。


そもそも、苦労って何なの?

自分がやりたいことを出来る範囲で・・・
というのが人間社会の本質だと思うんだけど、
経済活動における成果とは
人それぞれってわけにはいかない。
・・・で、方法論を体系化し過ぎたのが
現代社会における歪みになっている。

個性を活かすのではなく圧し殺すやつね。

例えば、まったく同じことを言っても
喧嘩になる人とならない人がいる。
子どもの頃から誰もが経験してるだろう。

なぜ同じことから生じる結果が異なるのか?
状況に応じて結果が異なるだけならば
同じ人の同じ振る舞いでも結果は変わるが
必ず揉める人とそうではない人とは
おそらく分類することが可能なのだ。

常に場を履き違えるタイプもあるし
逆のタイプもあるにはあるのだが
”生理的に許せない”というタイプも
ここにはあると考えるのが自然だろう。


いずれにしても、必ず揉めるタイプがあり
教育されたケーススタディの中で
必ずそのようにせねばならないシーンが
許されないタイプが生じるということだ。

では、そのタイプは何をどうやっても
許されることがないのかというと
そんなことはないわけで、結局のところ
不似合いな振る舞いは嫌われるってことだ。


印象を受け取る側は人間であって
そんな本質の上で生きているのだから
誰かの目には無礼な態度も
肝心な相手が良しとする場合もある。

つまり、人には変えられない個性があり
それぞれが活きるシーンもあるのだ。
それは苦労するのとは真逆の発想で
苦労しなくても良いはずなのに
苦労を強いられる構造に問題がある。


人生に山を見つけたら
登りたいか否かで決めようじゃないか。
苦労すべきという人は
おかしい人なんだって割り切ってさ。